2012年8月21日火曜日

No.8.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~私の1日編2

No.8.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~私の1日編2

最初は、授業が全く聞き取れなかったが、
結構、楽しんでいた。


初から、友人はいない、でも孤立感は感じない。

何故だろう。

北海
道の高校のときは、日本語なので授業は理解できるが、
楽しくなか
った。

“大学受験”が基準で、そのための授業という感じ。
一人ひ
とり可能性はほぼ試験の数字でしかみられていない感じ。

アメリカ
でも期末試験はある。
評価はほぼその数字でなされる。
表面は同じ
、でも、場を満たしている何かが違う。

一つは、先生との距離感。

教室に入っていくと、どっちからともなく
挨拶(“Hi”でいい)
から始まることが多い。

日本の場合は、起立・礼であろう。
起立・
礼が悪いとも思っていない。
起立・礼があっても、
親しい先生であ
れば距離を感じないのだろうが、親しい先生もいなかった。

日本の
高校には1年しか居なかったし、
部活もやっていなかったからとも
言える。

でも、アメリカの高校の先生は、
殆ど初日で何らかの親し
みを感じた。

何故だろう。アメリカの授業は、
大なり小なり対話型
で進められる。

英語の授業は、対話が中心。
結構、”~どう思う“
、”~どう考える“といった質問をされる。

困ったときもある。で
も嫌ではなかった。
答えられなくても平気。

日本なら、質問を当て
られるのを避けたいだろう。
何が違うのだろう。

アメリカでは1日
11科目、毎日同じ科目、
休憩・食事時間なしであったが、毎日適
度に楽しかった。

すみません、結論のでないものになっていますね


そう言えば、
日本は、”結論“、”回答“、”礼儀・形式“、”
評価“を優先するが、

アメリカは、”考えること“、”問うこと“

”(稚拙でもいいから)オリジナル“、”対話・親しみ“、”可
能性“
が重視される気がする

No.7.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~私の1日編1

ジョブズが創業したての頃のアメリカ~私の1日編1

アメリカの高校の時(1981年、高校3年後期) 普通の日
05:50 起床・ホットドックとオレンジジュースくらい
06:10 家を出る

06:20 バスに乗る
06:40 学校につきAppleII(パソコン)でプログラミ
ングして素数計算など
08:00 最初の授業 以降休憩・トイレなし、教室移動時間の
み。
17:30 最後の授業
1日11科目(数学5、科学2、英語2、社会1、体育1)×40
分。毎日科目同じ。
18:30 帰る、夕飯
19:00 殆ど寝るまで数と格闘。結局1日13時間くらい数(
学)に格闘する日々。
01:00 寝る
授業はおもろかった。

社会は、以前テープレコーダーで睨まれた先
生の授業というのもあり、

つまらなかった。





事情があって英語も高
校で一番レベルの高い科目を採ってしまった。

古典英語や哲学議論
などもあり四苦八苦、殆ど理解していなかった。

日本の高校の時(1979年、北海道、高校1年) 普通の日
06:00 起床。朝食。
06:20 家を出る
07:00 汽車に乗る(北海道は今でも電車のことを汽車と呼ぶ

08:10 学校についてホームルームに参加、授業が始まる
12:00 昼飯(弁当持参)
13:00 午後授業
15:00 授業終わり
 おもろい授業は無。一番印象有りは英文法。重箱の隅の隅を極み
までつっつく。
15:00 程なく駅に向かう。
普通は、汽車に乗れるが、掃除当番があると悲惨。掃除当番が終わ
って、

全速力で駅へ、歩10分を走3分で到着しないと汽車に遅れ
る、次の汽車まで2時間待ち。
17:00 家につく、夕飯
18:00 適当に。勉強・宿題は1時間くらい。試験時の勉強は
苦痛だった。
24:00 寝る

起きる時間と寝る時間は、日米殆どかわらない。

米国の高校授業は
理解できなくても楽しかった。

今度、何でおもろかったのか振り返
ってみたい。


2012年8月14日火曜日

No.6.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~コンピュータールーム編2

スティーブ・ジョブズが創業したての頃のアメリカ~コンピュータールーム編2

さて、何を書こうかな。なにしろ30年も前の話なので。


コンピュータールームには、主(生徒)が何人かいて、絶対君主的に仕切っている感じ。わからないことがあったり、困ったりすると彼らの助けがどうしても必要なので、ご機嫌を損ねないようにお願いしないといけなかった。それは10年後の大企業のコンピュータールームでも同じでして、運用(オペレーション)している人には結構気遣いしていた。

ドンは、同期で友人のChris。他に一年下で友人のKeithや Salといった面々。Chrisは何でもできる奴。数学チーム、科学研究クラブ、多くの授業で一緒。聞きづらい独特のイントネーションで、まくし立てる奴。文章で最初のワードを変に強調する。こっちは、よくわからないけど、適当に聞いて、適当に話していました。Chrisは宇宙物理でもやっているのかなぁとも思っていたが、有名なコンピューター科学者になっているらしい。NHKでも放映された人間のように考えるコンピューター「Watson」の開発者の一員です。「Watson」はIBMの「Watson」研究所で作ったコンピューターで、有名なクイズゲーム「Jeopardy」で人間と争って勝ったというのが全米でもニュースになったよう。

そう、ですから安心してください。クイズでコンピューターが勝ったというのがニュースになるくらいなので、まだまだコンピューターより人間の方が賢い部分が多いんですよ。特に関西のアホアホトークは、コンピューターには理解不能でしょう!動画は「Watson」。Chrisも独特のイントネーションで喋ってますね。

http://www.youtube.com/watch?v=Wq0XnBYC3nQ

No.5.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~コンピュータールーム編1


ジョブズが創業したての頃のアメリカ~コンピュータールーム編1

私は、ある時から毎日、
ホットドックを食べて、
オレンジジュース
を飲んで、
6時には家を出て、
バスにただで乗って高校へ向かって
いた。

20分くらいで着く。
時々、歩いていくこともあった。
その
時は1時間くらい。

AppleIIというスティーブ・ジョブズが
作ったパソコンを
授業前にみっちり使うためだ。

素数を計算するた
めだけに!

公立の高校にもかかわらず、
数学科の部屋の隣に専用のコンピュー
タールーム(コンピューター専用室)があり、
HP社(今もある)
の馬鹿でかい高性能電卓4台、
コモドール社(今は無い)のPET
という机上?コンピューター3台、
カードパンチ機3台、
DEC社
(今は無い)PDP10という高さ3m幅3mくらいなのにミニコ


ンピューターが1台、
当時最新鋭の大型コンピューターIBM36
0につなぐ設備と専用プリンター一式があった。

日本の中堅~大企
業なみの設備があった。

最初にHPの電卓を授業でならって使いはじめ、
それが私のはじめ
てのコンピューターだった。
それからすべてのコンピューターを利
用したのだが、
印象に残っているのはカードパンチ機。
大きさは1
.5m幅、高さ1m、奥行き1mくらいだったか、
キーボードを打
つと、
一枚5cm×10cmの紙カードがぐーと流れて穴が打ち込
まれ、
がっちゃんという音共にスタック(一箇所に貯められる)さ
れていく。

いまでこそプログラミング(ソフトウエアを作る作業)

パソコンに打ち込んで結果を見ながらできるが、

当時、大型コン
ピューター様(当時は人間よりコンピューターが偉い)
に計算して
いただくには、

こうしてカードを数十枚~数百枚作って、
それを電
話回線(ようは電話)でデータを流してやっとであった。

そんなことを一通り経験してから、
AppleIIを専有して毎日
使うようになった。

学校にAppleIIは1台しかないが、
早朝
早く来て使うような奴は私だけだったので十分使うことができた。

2012年8月5日日曜日

No.4 ジョブズが創業したての頃のアメリカ~食べ物編2



スティーブ・ジョブズが創業したての頃のアメリカ
~食べ物編2

1980年9月 ステーキ1Kgを一人で食べた!

誕生日にです!いつもではないです!北海道では、牛肉はそもそも
知らなかった。北海道では売っていないか、家では見たこともなかった。アメリカは肉はとっても安かった気がする。

アメリカのときも、朝食べて、昼なし、夜のみ、間食なし。会社員
のときもそうだったことが多い。習慣とは恐ろしい、今1日3食は食べすぎということに気づいてしまった(ちょっと遅い!)。

No3.ジョブズが創業したての頃のアメリカ~食べ物編1

スティーブ・ジョブズが創業したての頃のアメリカ
~食べ物編1

アメリカ人は、日本人からすると、あまりいいもの(バランスのいいもの)を食べていない気がする。日本は、朝からまあまあバランスがいいのものを食べるでしょう。和食の場合、特に。そしてうまい。


たまごかけご飯も、シンプルだがおいしい。アメリカ人は、おいしくないパンに、おいしくないピーナッツバターをつけて食べる。そんな感じ。

3ヶ月くらい、ニューヨークを離れて南部のジョージア州、アトランタがあるところ、カーター大統領(もう知らない人もいるだろうが)の出身地近くで科学の合宿のようなものに参加したことがある。そのとき、友人は、毎日(3ヶ月間)、日本では絶対に売れないようなおいしくないパンにピーナッツバターをつけて食べていた。とにかく甘いピーナッツバター。

アメリカに来て、うまいと思ったのがピザ。それまで北海道の田舎なので見たこともなかった。確か1枚80セントだったと思う。1ドル240円くらいの頃だったので、単純に計算すれば200円くらいだろうが、住んでいると何故か1ドル100円くらいで感じるので、80円くらいの感覚、安く感じた。

でも、おいしくないが給食も食べた。ただなので感謝して食べないといけないのだが、まずかった。とにかく甘いだけのチョコレートドリンク、油が滴るフライ(揚げ物)、フライドポテト、そして甘いデザートかヨーグルト、そしてサラダがあったような。それが高校の給食(ランチ)だった。でも、タダですよ。アメリカは太っ腹だった。

公立高校も授業料無料。教科書も無料(貸与)。教材費なんてない。制服やジャージーなどもいらない。通学バスも無料。なーんにもかからない。あげくランチも無料。週末はテニスコート、ラケットボールコートも使える(もちろんタダ)。

でも、私は、給食を2回くらい食べてもう食べないことに。食べたいと全く思わない。そして給食を食べる時間がまったくないように授業で埋めた。ある時期から、朝6:30~夕方16:30頃まで休憩なし、食事なし、飲み物なし、トイレ殆どなし。でも、腹は減らなかった。

No2.自己紹介

私をあまり知らない方もいらっしゃいますので自己紹介させてください。
北海道出身。熊が平気で歩いている山奥など大自然の中で育つ。高校のとき、急にニューヨークに行くことになる。70年代後半、アップルやマイクロソフトといった企業が創業の頃。英語がわからなくて大丈夫とコンピューターの授業を勧められる。高校にあったジョブズが作ったAppleIIというパソコンを専有し、マイクロソフトのビル・ゲーツが作ったBASICというソフトを使って数の計算に没頭する。この経験がその後の人生につながる。大学卒業後、大手銀行に入り、主にIT関係の仕事をする。その後、障がい者向けパソコン講座、企業のIT化支援、某企業IT責任者などを行ってきた。現在、IT業務改善コンサルタント。学部(数学)、修士(経済)、博士取得途上(理学、休学中)。プロジェクトマネジメント協会などの会員。友人には茂木健一郎さんに似ていると言われている。体型が似ているのか、知性が似ているのかはわかりません。